ひかりあめふるしま 屋久島
クライアントさんと旅行の話になって屋久島が話題にでました。わたしが屋久島に行ったのは休職3年目の春でした。
うつから少しずつよくなりつつあったときに
田口ランディさんのエッセイ
『ひかりのあめふるしま屋久島 』を
読んで行ってみたくなりました♪
(パワースポット好きです
~霊的な力はまったくありませんが~)
屋久島の温泉で会ったおじさんが、
「 もう 10回くらい来ている 」
と言っていました
「 屋久島は緑と水が多く
森のトレッキングは
巨大な酸素マシーンのなかを歩いている感じで
何時間歩いてもぜんぜん疲れないんだ
むしろ、森をトレッキングしたあとは
心と身体がリフレッシュ&活性化されて
細胞が再生する感じだよ
だから、
俺はしょっちゅう屋久島に来て
いつもの仕事と日常生活で疲れた
心と身体のケアとエネルギーの充電をしているんだ 』
と 話を聞かせてくれました。
田口ランディさんのエッセイをよく読んでいました。
『 ある日、アパートの一室で腐乱死体となって発見された兄の死臭を嗅いで以来、朝倉ユキは死臭を嗅ぎ分けられるようになった。
兄はなぜ引きこもり、生きることをやめたのか。
彗星のごとく出現し、各界に衝撃を与えた小説デビュー作。 』
田口ランディさんのデビュー作
『コンセント』(幻冬舎) の紹介文です。
うつ病で休職して一年が経つ頃
よく図書館の不登校・ひきこもりや心身症関連の棚の前にいました。
何か自分の状態をよくするための情報を必死でもとめていました。
そんなとき目についたのが田口ランディさんのエッセイでした。
ランディさんのお兄さんはアパートの自室で変死したそうでご自身の体験をベースにした自伝のような小説にぐいぐい引き込まれました・・・
ランディさんのお兄さんがひきこもりの末に餓死したこと
その部屋にはコンセントに繋がったままの掃除機があったこと
などを知り興味をもちました。
エッセイかコラムの中にこんな話が掲載されていました。
『 兄が生きていたころ、私や両親が兄に言い続けた言葉。
それは「働きなさい」だった。
特に父と母は口を開けば「働け、働け、働け」と兄に言い続けた。 』
あらためて振り返ると、私は恵まれていたなと思います。
私の両親は、うつ病で横になって何もしないでいる私にプレッシャーをかけるようなことほとんど言いませんでした。
特に父は、
『 別に働けなくてもいい
生きているだけでいい 』
と折に触れ口にしていました。
うつ病に至ったプロセスには父の影響が多大にあるけれどもうつ病から回復したのも父の想いが土台になっている。
この不思議な流れに感謝したいと思います。
田口ランディさんは、働かないでひきこもっているお兄さんにこう言ったことがあるそうです。
『 お兄ちゃん、この世の中は働かないと生きていけないんだよ。
労働して、お金を稼がないと何もできない。
あらゆる場所は誰かの所有物で、家でも土地でも自分で獲得するためには、まずお金がないとダメなんだよ。
こうしていても水道代もガス代もかかるんだよ。
住民税もかかるんだよ。
とにかく働かなかったら……
日本では生きていけないんだよ 』
全くもって正論です
世の中の多くの大人がそう言うでしょう
そして、ランディさんは話しながら
自分がとても苦しくなったそうです・・・
お兄さんが亡くなった後は、次のように思うようになったそうです。
『 私は、「働いてお金を稼ぐって楽しい」と思って二十代、三十代を生きてきた。
「おいしい生活」の時代だったから。
だけど、いまは、なんだか怖くなる。
生きるために、労働と所有以外の、別の根拠が欲しい。
「おかしいのはオマエらの方だ」
という兄の言葉が、忘れられないんだ 』
『 おかしいのはオマエらの方だ 』
声高に そんなふうには叫べないけどお兄さんの言葉が胸に響きます
休職中に読み漁った田口ランディさんの本
『 生きる意味を教えてくださいー生と死をめぐる対話 』
(バジリコ出版社)
対談集ですが、宮台真司さんとのページに80ページ割いています。
他の方達との対談の倍近くのページを使っていて
かつて宮台さんの著書 『 終わりなき日常を生きろ 』
をバイブル視していた私にはぐっとくるものがありました。
『 いつか森で会う日まで 』 (PHP)
『 癒しの森―ひかりのあめふるしま 屋久島 』 (ダイヤモンド社)
ランディさんが、屋久島に魅かれるようになっていった過程屋久島への思いが伝わってきます。
NLPによってうつ病から回復し始めた私は、この本を読んだことがきっかけとなり屋久島に興味を抱き旅行に出かけることになります。
『 神様はいますか? 』 (マガジンハウス)
表題にあるようないくつかの疑問に対する
ランディさんなりの答えを模索するような感じですが、
・人生は生きるに価しますか
などはずっと私の心にあったのでランディさんならどう答えるのだろうと読んでみたくなりました。
KKベストセラーズから発行されている雑誌『一個人』の130号に仏陀の言葉という特集が掲載されています。
その中で田口ランディさんが仏教に対する見解を述べられています。
ランディさんは、ブッダの教えを宗教ではなく思想や哲学として見られているようですが、興味深いことをおっしゃっていました。
『 浄土真宗の開祖・親鸞は、
南無阿弥陀仏と唱えれば成仏できて救われると説きました。
すべての人を救うという本願を立てた阿弥陀如来は、救済を切に願う人間の悩みを救う存在として、人間の脳の中で抽象的な概念として生み出された、いわば人間の発明品です。
私の場合、この抽象的概念がどういう風に発明されたのかが
おもしろく、知りたいところだと思いました。 』
ランディさんによると救われたいという思いがないと南無阿弥陀仏と唱えることはないの
悩みがあるからこそ救いがある
という構造になっている
『 浄土真宗の論理は「悩みなくして救いなし」です。
絶望すればするほど、深い悩みがあればあるほど、救済は確約されるということ。
悩みと救済はセット(表裏一体)になっているというわけです。 』
悩みと救済が表裏一体になっていてセットである
とてもおもしろく、共感を感じました。
また、次のようにも述べられていました。
『 日本の仏教の中で共通の概念としてあるのが「仏性」です。
仏性は、誰にでもあるとされます。
そして、悩みが生じた段階で、
仏性の方から人間に接近してくるのです。 』
悩みが生じるからこそ仏性が近付いてくる
ランディさんの見解の最後の言葉もなるほど~ と感じるものがありました。
『 私自身のことで言えば、ハッキリ言って今、″仏教″を必要としてはいません。
それは、いわば「絶望していないから」です。
私は「生きている苦しみから逃れたい」などの願望もなければ、そのようなことで悩んでもいないんです。 』
ランディさん自身も父親との間に問題を抱えていました。
父を憎み、父を否定することでアイデンティティをつくってきたと言います。
同時に、あの父がいなければ作家になっていなかった、 とも・・・
「 最近ようやく、しみじみと悲しいです。
兄が一番必要としていたのは、父親の愛情だったと思います。
兄の死は、親から愛されないことへの抗議でした。
アルコール依存症だった父は自分の心の問題で手いっぱいだったんでしょう
そのことが今はわかります 」
私も父から無条件の愛情が欲しかった
むろん母からも・・・
私の父も完全なアルコール中毒まではいっていませんでしたが、アル中一歩手前なくらいでした父自身が自分の心の問題で手いっぱいやったと思います
私も今だから
うつ病から回復した今だから
というよりは回復のプロセスでそのことに気付けました
欝に感謝
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