私の鬱病の症状
鬱病の最初の症状
私が最初に心療内科に通院するようになったのは、仕事のストレスから眠れなくなり精神科を訪れたからでした。
眠るために睡眠薬が欲しいと思って行ったのですが、睡眠導入剤とともに、抗不安薬、抗うつ薬も処方されました。
最初に飲んだ薬が、デパス、ワイパックス、ドグマチール、ルボックス、マイスリー
だったと記憶しています。
最初は薬が効いたんですけどね~
眠れるようになったし
やる気もでました
それが、3ヶ月くらい経ったら徐女に状態が悪化していって、薬を変えたり量を増やしたのですがどんどんしんどくなり・・・
最終的には布団から起き上がれないくらいにまでなってしまい
薬を飲み始めた1年後に休職することとなりました。
授業案が考えれない
ストレスから眠れなくなり、
心療内科へ通い抗うつ剤を飲みながらなんとか仕事をこなしていましたが、私の状態はどんどん悪化していきました。
1月から抗うつ剤を飲み始めて8か月目の夏休みのことです。
通常なら授業のない長期休みに普段の授業案をまとめて考えることができるので
授業案を考えようとするのですが、本や参考書を読んでもぜんぜん頭に入らないのです。
そして、
授業の流れを組み立てることもできなくなっていました・・・
自分でもどうして頭に入らないのか分からず、気ばかり焦る中であっという間に2学期が来てしまいました・・・
鬱病の症状 味が分からない
次に身体の状態が完全におかしいと実感したものの一つに味がわからないという症状がありました。
心療内科へ通い始めて10か月が過ぎていたと思いますが、デートの最中に飲んだビールの味をぜんぜん感じなかったのです・・・
驚くと同時に自分の身体はとうとうこんな変調まできたすようになったのかと絶望感に襲われました。
それから回復するまでの3年間~
何を食べても
何を飲んでも
美味しいと感じませんでした。
もしかしたら、服薬を長く続けたためにそうなってしまった可能性もありますが・・・
おかげで鬱病から回復した今は舌や喉が感じる味覚を深く味わうことができるようになりました。
朝ワイシャツを着るのに30分もかかるように・・・
心療内科へ通い抗うつ剤を飲みながら仕事をこなしていましたが、2学期が始まり10月半ばが過ぎる頃には身体の状態は相当悪くなっていました。
朝 本当に起き上がれない
ワイシャツを着るのも大変でうずくまったりしながらボタンをとめるのに30分もかかるようになっていました。
授業案は組み立てられず、生徒とのやり取りができるような状態ではなかったので授業はただただ黒板に板書したのを写させるだけでした。
空き時間は身体が本当にしんどかったため資料室などで隠れて横になっていました・・・
その頃はもうひどいうつ状態であり、本来であればもっと早く休職すべきだったのだと思います。
ただ、自分の将来のこと
まわりからの評価を考え
決断することができませんでした。
一番ひどかった鬱病の症状 幻聴
私の精神の状態としては、休職して半年が過ぎた頃が一番ひどかったと思います。
その頃は東京のアパートに引きこもっていてなんとか学校に復帰しなければと考えていました。
学校に復帰しなければ
でも、身体が動かない
朝はまったく起き上がれない
気力が湧かない
でも、学校に復帰しないと自分の人生が・・・
そんなことばかり考え、一人狭いアパートの一室でじっとしているうちに私の精神状態はどんどん悪化していきました。
そして、夜 壁から幻聴が聞こえるようになってしまったのです。
『 こんなこともできないのか! 』
『 何やってるんだ ちゃんとやれよ 』
『 ウザい キモい 死ね 』
壁から同僚や生徒の罵倒、ののしり声が聞こえるようになってしまったのです。
この状態を私は魔境と呼んでいます。
心のブラックボックス - 魔境
ぬかるみの様な心のなかの闇の穴にはまり込んでしまった感じでした。
壁から幻聴が聞こえるようになってしまった私は、夜はまったく眠れなくなり、人前に出ると身体の震えと冷や汗がとまらなくなりました。
幻聴とさらにパニック障害も併発してしまったのです。
家から一歩出れば歩いている人達みなが輝いて見えて
『 みんな普通に生活しているのに俺は・・・ 』
凄まじい絶望に襲われていました。
~ まさに魔境だったと思います ~
この時は、実家の父と母に電話をしたところ長い時間かけて諭され
仕事への復帰、学校へ戻ることを手放しました
そして、東京のアパートを完全に引き払い父、母に連れられて愛知県の実家にもどり療養に専念することとなりました。
『 とりあえず、仕事のことや学校のことはもう考えるな
今は体を良くすることに専念しろ 』
と言った父の言葉は今も記憶に残っています。
仕事への復帰を手放したことが大きかったのか実家にもどったことにより幻聴はしなくなりました。
私の見解では、鬱病と統合失調症はつながっていると思います。
鬱病が悪化すれば心の魔境にはまり込み幻聴、幻覚へと至る
そんな流れがあるように思います。
私の場合は仕事への復帰、執着を手放すことにより運良く魔境からは早めに抜けることができました。
魔境から抜けたとはいえ~
幻聴がしなくなっただけで鬱状態はずっと続いていたのですが、うつであっても魔境にはまったままであるのと抜けているのでは大きく違いますね。
鬱病の症状 何をしても楽しくない・・・
鬱病の症状としてはいろいろなものがありますが、
とてもキツかったものの一つに何をしても楽しく感じられないという症状がありました。
私はもともとダンスが趣味で鬱になるまでは週に2回くらいダンススタジオのレッスンに通っていました。
スタジオの発表会に出るために毎週木曜日の夜はパフォーマンスクラスのレッスンに通っていました。
チームの衣装も決まり形も完成しつつあった本番一ヶ月前のレッスンで
突如
踊ることを楽しいと感じていない自分に気付き愕然としました
あんなに楽しかったダンスをぜんぜん楽しいと感じない!
自分はどうなってしまったんだと思いました。
心療内科へ通い始めて半年ほど経ったころのことでした・・・
焦りと気分の変調に悩まされながらもなんとか本番の発表会はやり通しましたが全く楽しく感じることができませんでした。
発表会以後はダンスのレッスンに通うのをやめてしまいNLP心理療法に出逢うまではダンスをしようという気さえ起きませんでした・・・
鬱病の症状から回復したことによって再び踊れるようになった身体に感謝し今は踊ることの楽しさを噛み締めています。
鬱病の症状 眠れない苦しさ・・・
鬱病の方ならわかると思いますが、
眠れないというのは本当に苦しいです・・・
これは鬱病の症状のなかでもワースト3に入る苦しみだと思っています。
薬を飲んでもなかなか眠れない
眠りに入ってもすぐに目が覚めてしまい 寝付けない
明け方早くに目が覚めてしまい
かといって起きる気力もなく
ダルいまま横になって寝返りを何度も打つ
特に鬱病の眠りの特徴として
熟睡感がまったくない
というのがあります。
薬に気を失わされているような感じ
で眠った気がぜんぜんしないのです。
これは苦しいです
眠った気がしないので身体も頭も重く気力が全く湧きません。
鬱病を通して人間の身体にとって眠りがいかに大切かを実感することができました。
身体は良い眠りによって
疲れから回復し活動のエネルギーを蓄えるのです。
鬱病の症状 眠れない夜に・・・
眠れないというのは非常に苦しいことですが、
私がうつ病で休職していた頃は薬を飲んでも眠れないことがよくありました。
何度も寝返りをうって、寝つこうとしますが眠れませでした。
当時そんなときは携帯電話でmixiをしてみたりもしました。
メンタル系のコミュニティの書き込みを読んだり、女性とのつながりを求めたりと長時間に及ぶ携帯でのネットログインで当時まだパケ放題にしていなかった私の携帯代は、しばらくして5万円を越える請求が来てビックリするとともにバカなことをしているなとまた激しく落ち込んだものです。
そして、眠れない苦しみから逃れるために
ずっとラジオの深夜番組を点けっ放しにしておいたり、
クラシックのCD(モーツァルト)を流してみたりもしました・・・
苦しかったな
夜 眠れないときに新垣勉さんのCDを聞くことがよくありました。
父が好きだったので知ったのですが、新垣勉さんは沖縄出身の歌手で、お父さんは米兵、お母さんが日本人の方です。
生後まもなく不慮の事故により失明され、1歳の時に両親が離婚、父は本国に帰り母が再婚したため母方の祖母にひきとられました。
14歳のとき祖母が他界、天涯孤独となり、その後、母の親戚に身を寄せるが、高校1年の時に井戸に身を投げようとしたこともあるといいます。
両親に対して強い憎しみを抱き
“自分ほど不幸な人間はいない”と考え、
生まれてこなければよかったと人生に絶望し、
運命を呪うばかりだった新垣さんは
ある牧師さんとの出逢いから光を見出し
声楽の道を進むことになります。
『 日本人離れした明るい声。
君のこの声はラテン系のお父さんがくれた宝物だ!
一人でも多くの人を励まし、勇気を与えることが出来るように君の声を磨きたい 』
名ヴォイス・トレーナー、バランドーニ氏に絶賛されたというその声は人生の絶望と希望を深く感じた新垣さんだからこそ出せる響きを感じさせます。
新垣さんは父親からもらった声をほめられたことで父への憎しみが消え、逆に感謝の気持ちが湧いてくるようになったそうです。
眠れない夜にCDをかけ
さとうきび畑
愛燦燦
TUNAMI
をよく聞いていました。
伸びやかに響く声で魂を込めて歌う新垣さんに絶望の只中で光をもとめていた私ははっきりとは分からないながらも少なからず癒されていた気がします。
鬱病の症状 体の重さ ダルさ 倦怠感 ~ 複合的な苦しみ
身体の重さダルさ、倦怠感、
やる気がおきない、意欲が湧かない、
何もする気がしない、すぐ疲れる
などにとても苦しみました。
睡眠障害としては、
眠れない、寝付きが悪い、
寝てもすぐ目が覚めてしまう、
夜中に何度も目が覚める(中途覚醒)、
朝方目が覚めて再び寝付くことができない(早朝覚醒)
がありました。
また、
食欲が湧かない
性欲が湧かない
オシャレをする気にならない
(いつもパジャマみたいな格好で老けて見えるしみすぼらしい)
という状態でした。
そして、
途中から背中の痛みも加わりました。
首や肩のコリというのは以前からありましたが、休職して二年目くらいから背中が痛くてたまらないという悩みに苛まれるようになりました。
鬱病の症状 朝起き上がれない 太っていく・・・
うつで休職しているときは、
午前中は起き上がることができませんでした。
目は覚めるのですが、どうにも頭も体も気分も何もかもが重く起き上がれないのです・・・
ようやく昼頃起き上がりますが、
食欲がわかないのでプリンやヨーグルトなどの甘くてやわらかいものをよく食べていました。
食べる量は多くなかったのですが、体を動かさないのと薬のせいか体重がどんどん増えていってしまいました。
増えてしまった体重をなんとかしたいと思っていたところ~
フジTV系の番組 『発掘!あるある大辞典』で納豆ダイエットをやっていました。
一日二回 納豆を必ず2パック食べると痩せる!!
というダイエット法で、何かやたらと説得力がありました
事前によく掻き混ぜてから食べるのがポイントで、これに飛び付いた私は毎日納豆を2パック食べ始めました。
とにかく掻き混ぜなければと思い、一生懸命納豆を掻き混ぜていました。
当時納豆ダイエットは、スーパーの店頭から納豆がなくなるほどの大ブームになっていましたが、
両親は 『そんなもんで痩せれるわけがない』 と
納豆ダイエットにはまった私をバカにしていました。
両親の言葉などには脇目も振らず私は必死に納豆を掻き混ぜていました。
二週間ほどして、納豆ダイエットはデータの捏造問題が発覚し、製作した関西TVの社長が謝罪会見でお詫びをし、『発掘!あるある大辞典』は急遽放送終了となってしまいました。
残されたのは茫然自失の精神状態と納豆を2パック余分に食べ続けたことで余計に増えてしまった2kgの体重だけでした・・・
うつ病の当時者会での様子
うつ病で休職し一年半が過ぎる頃
たまにうつ病当事者会やひきこもりの人向けのフリースペースへ通ってみました。
当時通っていたうつ病当事者会は名古屋と刈谷に、ひきこもりのフリースペースは地元ありました。
地元のフリースペースにはうつ病の人はほとんどいなくて、ひきこもりや対人恐怖症・統合失調症の方が多かったです。
統合失調症の女性でよく幻聴を聞いている人がいました。
彼女は具合が悪いため始終横になっていましたが、よくぶつぶつと独り言を言っていました。
メンズアイドルが取り付いて彼女に話しかけてくるということでした。
『 K・T それおもろすぎるよ 』
と言いながら一人で笑っている彼女にスタッフの人が問いかけてみると、
そのメンズアイドルが彼女に言ったギャグが面白かったらしくかなり受けたそうです。
その様子を見ていて、
『 同じメンタルの病でもうつ病と統合失調症では大きく違うなぁ
僕もあのまま魔境にはまっていたらここまでいっていたのだろうか・・・ 』
と感じていました。
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